無窮洞に関する情報は、長崎県や佐世保市の観光情報サイトなどにあり、説明文と掲載写真が似ています。
YouTube動画で説明されているものもあり、情報が散らばっていて調べるのに時間がかかります。
そこで、無窮洞が紹介されている複数サイトや、YouTube動画を調べて、まとめてみました。
複数記事内の同じような説明文は、統合して省略しました。
この記事を読んでいただければ、無窮洞について調べる手間が少なくなります。
また似たような説明文を読まなくて良いので時間が無駄になりません。
佐世保市と長崎県の観光サイトの無窮洞 説明文を引用紹介
以下のサイト無窮洞の掲載写真は、似ていますが重複はしていません。
説明文も、ほとんど同じですが、異なる点もありますので、引用して紹介いたします。
特に、無窮洞に避難できた児童の数が、佐世保観光コンベンション協会サイトの記事では600人。
長崎県観光連盟サイトの記事では、500人と説明されています。
調査の年度が違うのか、そもそも正確な数字は分からないのかも知しれません。
佐世保・小値賀 「海風の国」 佐世保観光コンベンション協会サイト
佐世保・小値賀「海風の国」(うみかぜのくに) 佐世保観光コンベンション協会サイト
佐世保と小値賀(おぢか)をあわせて海風の国(うみかぜのくに)といいます。
長崎県の人でも海風の国と言われても、ピンとくる方はすくないと思いますが。
佐世保観光コンベンション協会さいとの「無窮洞」の記事
https://www.sasebo99.com/tour/100001
説明文を引用します。
無窮洞は、第二次世界大戦中に旧宮村国民学校の教師と小学生たちが学校の裏山に掘った巨大な防空壕です。
校長先生の発案で、1943年8月29日から1945年8月15日の終戦まで、およそ2年間にわたり堀り進められてきました。
中は幅約5m、奥行き約20m、生徒600人が避難できたというほどの大きさがあります。
避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることができます。
https://www.sasebo99.com/tour/100001
ながさき旅ネット 一般社団法人 長崎県観光連盟サイト
長崎県観光連盟が運営する、ながさき旅ネット内の「無窮洞」の記事
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/61274
『無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。
中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。
避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。
当時4年生以上の児童がツルハシで堀り進み、女子生徒がノミで仕上げたといわれ、工事は昭和18年8月~終戦の昭和20年8月15日まで続けられたそうです。
天井は小学生の手によるものとは思えないほど、美しいアーチを描き、平和の祈りが聞こえてきそうな趣きの『無窮洞』。
市街地からは少し離れますが、ぜひお立ち寄りになって中をご見学ください。
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/61274
※バスでお越しの場合は、事前にご予約をお願いします。
西日本新聞の記事 天井の高さが8メートルと紹介
西日本新聞の記事 2018年7月9日
こちらでは、奥行きが19メートルとなっていて、天井の高さが8メートルと記述があります。
避難できる数は、600名となっています。
児童が手作業で掘削 防空壕跡の無窮洞
https://www.nishinippon.co.jp/item/o/431429
引用させていただきます。
長崎県佐世保市の南部、川棚町との境界近くに旧国民学校の児童が手作業で掘った防空壕(ごう)跡「無窮洞(むきゅうどう)」がある。
太平洋戦争中、この上空にも軍港・佐世保市街へ向かう米軍機が頻繁に来た。
1943年8月、旧宮村国民学校の校長の指示で防空壕の掘削が始まった。
終戦の日まで2年間、機械も爆薬も使わず、高学年男児のつるはしが頼り。
女児が壁の形をコテなどで整え、低学年は岩や石を外に運び出し、学校総出の作業だった。
無窮洞顕彰保存会の茅原勇会長(80)も作業をした。
「空襲が怖かったから必死だった。しんどいとは言えなかった」と振り返る。
内部は子どもの手作業と思えないほど広い。
石造りの教壇が残る「主洞」は幅5メートル、奥行き19メートルで、天井高は8メートル。
ほかに学籍簿などを保管した書類室、天皇皇后両陛下の「ご真影」を掲げた棚、食料庫、かまど、便所まである。
空襲警報が鳴ると、全校生約600人がすし詰めになって息を潜めた。
戦後、放置されていたが2002年に佐世保市が整備。
保存会の人が交代で見学者を案内している。
(長崎県佐世保市城間町)
=2014/06/19付 西日本新聞朝刊=
https://www.nishinippon.co.jp/item/o/431429
※無窮洞顕彰保存会(むきゅうどうけんしょうほぞんかい)の茅原勇(かやはらいさむ)会長は故人です。
無窮洞のYouTube動画紹介 動画内の会話文を掲載します
佐世保の歴史遺産 ご存知ですか? 無窮洞
リポーターの諸岡なほ子さん、ボランティアガイドの(故)茅原勇さん 佐世保市の前市長の朝長則男さん
これは佐世保市公式のYouTube、佐世保チャンネルの動画で、2015年10月投稿分です。
(2015年10月1日投稿分 視聴回数5,600回以上) 佐世保市チャンネル 登録者2,800人以上
(故)茅原勇さんは実際に無窮洞を掘った方で、この動画投稿時には、無窮洞顕彰保存会の会長をされていました。
YouTube動画の概要欄の説明文を掲載
動画内で表示されているテロップと会話を、引用して掲載しました。
こんにちは、佐世保市長の朝長です。
レポーターの諸岡なほ子です。
今回は、佐世保の歴史遺産、ご存知ですか?無窮洞についてお送りします。
さて、市長、きょうは宮地区にある無窮洞にやってきました。
ここは市長も一押しの歴史スポットだそうですね。
無窮洞は今から70年以上前に、当時の宮村国民学校の子どもたちが掘った防空壕です。
中を見てもらえば、諸岡さんもきっと驚かれると思いますよ。
きょうは、保存会の茅原さんに案内してもらいましょう。
無窮洞顕彰保存会 会長の茅原勇さん
それでは中をご案内します。
ここは、主洞といって地下教室として掘られたところです。
とっても広いんですね。
広いですね。
(奥行き)19mで(幅)5.5m 高いところで8mあります。
主洞だけは、酸素の容量を大きくするということで、こういう風に大きくしております。
小学6年生、高等科の1、2年生で掘りました。
戦後は教室として使いました。
ここが唯一未完成の部屋です。
実際、茅原さんも掘っていらっしゃったんですよね。
私が小学6年生で、上級生もかなり疲労していたと思いますが、
お前たちも掘れと言われて掘りました。
無窮洞は、当時の様子や人々の営みを今に伝える歴史遺産として
地元の皆さんの活動によって大切に保存され、教育の場としても活用されています。
わたしも、当時の子どもたちの気持ちになって
見学させていただきました。
こうした歴史遺産も、地域の皆さんの手で守られているんですね。
文化財の活用には、行政だけではなく、
市民の皆さんの協力が大きな支えになっているんですよ。
例えば、国の重要文化財に指定をされた針尾無線送信所でも
地元の皆さんがガイドや管理などの活動をされています。
ほかにも、佐世保には今でも使われている近代化遺産がたくさんありますよね。
明治時代から急速に発展した佐世保には、水道施設や赤レンガ倉庫、教会など、
その数なんと、715件の近代化遺産が確認されています。
佐世保はまさに、近代化遺産の宝庫!ですね。
本市では、明治以降の日本の歴史を物語る文化財を一体的に活用して
その魅力を広く発信し、地域活性化につなげていきたいと考えています。
皆さんもぜひ、佐世保の歴史遺産を訪れてください!
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今月の、キラっ人さん。海きららスタッフ 堀之内詩織さんです。
九十九島水族館海きらら 飼育スタッフ 堀之内詩織さん
Qクラゲ担当として
とにかくきれいな水槽で、きれいなクラゲを展示することを心掛けています。
内容省略
略 九十九島のクラゲの紹介
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今回の、「キラっ都させぼ」はいかがでしたか?
番組の感想を送っていただいた方の中から
抽選で「梅ヶ枝酒造 たっぷり苺」を3名様に差し上げます。
必要事項と番組へのご感想をハガキかEメールに書いて
ご覧のあて先までご応募ください。
お待ちしています!
https://youtu.be/p3lKY-jyP_0
※当然ですが、過去の動画ですから、感想を送っても抽選やプレゼントはありません。
まとめ
無窮洞は、佐世保市の観光コンベンション協会のサイトと長崎県観光連盟のサイトで紹介されていました。
同じような説明がありますが、別々に運営されているようです。
参考になれば幸いです。