無窮洞(むきゅうどう) は子供たちが掘った防空壕 汗と涙の結晶が今も残る 使われた道具も紹介 

無窮洞(むきゅうどう)は、太平洋戦争末期に約2年間をかけて、子供たちが掘った防空壕(ぼうくうごう)です。

子供たちがツルハシなどを使って手作業で掘ったのに、想像以上に頑丈でりっぱな防空壕です。

洞窟内の荒削りの岩肌から、当時の子どもたちの汗と涙の結晶を感じることができます。

大きな観光地ではありませんが、無窮洞が作られた経緯や時代背景、建設した労力などを考えると貴重なものです。

留学生や訪日外国人観光客を案内したことがありますが、国籍に関係なく訪れた人に驚きと感動を与えています。

機会があれば、一生に一度でも見ていただければ、戦争の歴史を考えるきっかけになるはずです。

またそうすることによって、先人のご苦労も報われることでしょう。

入場料金は無料、隣接する駐車場も無料です。機会がありましたら訪れてください。

目次

無窮洞の名前の意味と由来

無窮洞の入口

無窮洞入口の敢闘門(かんとうもん)
岩に彫られた無窮洞(右側から読む)
窮の文字は略字のようです

無窮とは、窮(きわ)まり無い、永遠という意味です。

つまり、無窮洞とは、子供たちを永遠に守る洞窟、米軍の空襲から子供たちを永遠に守る防空壕という意味です。

無窮洞の名前は、この防空壕を発案された当時の校長先生が命名されました。

入口の岩の壁面に書かれた無窮洞の文字もその校長先生が書かれました。

この防空壕(ぼうくごう)の目的は、太平洋戦争中の米軍の空襲から、地域の宝であり将来がある子供たちを永遠に守るためでした。

無窮洞が掘られた期間と内部の構造

無窮洞内部、入口付近

入口からすぐの主洞 想像より広い空間
子供たちが掘ったなんて信じられません

太平洋戦争中、1943年(昭和18年) 8月29日に作業を開始して、敗戦(終戦)の1945年(昭和20年)8月15日までの約2年間の歳月をかけています。

主洞と副洞で構成されていて、主洞から副洞の間は、通路で結ばれています。

主洞は、入口からすぐの場所で、幅が約5メートル、奥行き約19メートル、高さ約8メートルあります。

当時の小学校の全児童約600名が避難できたといわれています。

(約500名と説明されている表記もあります)

通路の途中に書棚があり、奥の方に食料品倉庫、カマド、調理場があります。

カマドと調理場の間に、洞窟の上部の野外に出られる避難道まで作られています。

副洞は主洞よりせまくなっていて、トイレ(便所)が作られていました。

(現在、便所はコンクリートで埋められて閉鎖されています)

無窮洞で使われた道具 

当時、無窮洞を子供たちが掘るために使われた道具は、いったいどんなものでしょうか。

当時、爆薬も機械など無く、子供たちが手で掘った訳ですから、使われた道具も限られていました。

多少、違っているかもしれませんが簡単に説明します。

無窮洞を掘った道具類

使用された道具類の展示

左側からノミ、金槌、ホゲ、ツルハシ、鍬、ガンヅメ

ツルハシ

最初に壁に、打ち込み岩をくずすためには、ツルハシを使いました。

ツルハシは両端が尖った鉄を木の柄に取付けた物です。

展示の写真を見ると、両端が尖(とが)ったものと、片側だけが尖ったものがありました。

力が必要なのと少し危険な面があるため、ツルハシは上級生の男子が使いました。

鍬(くわ)とガンヅメ

くずれ落ちた石をかき出すために、鍬(クワ)やガンヅメを使いました。

鍬は今でも農家で使われいますが、ガンヅメというのはあまり見たことが無いかも知れません。

鍬の鉄部分が、歯のようになっているものです。

石ころを集めやすい道具です。男子が主に使いました。

ホゲ

ホゲというのは、竹製のちり取りのような物です。

鍬やガンヅメで、かき寄せた石や砂を、このホゲにのせて洞窟の外に運びました。

近くの空き地や道路に、捨てました。

ホゲを使った作業は、おもに女の子が担当しました。

ノミと金槌(かなづち)

ノミと金槌(かなづち)は、洞窟の壁の細部を削ったり、仕上げる時に使いました。

この作業は、おとなである教師が使いました。

無窮洞内部は想像よりみごとな仕上がり

無窮洞内部を写真で紹介します。

無窮洞の壁の明り棚

しゃれた明かり棚

この上に、ろうそくを立てたのでしょうか。芸術的ですね。
こういう精細な部分は、ノミと金槌を使い大人(教師や校長)が仕上げました。

無窮洞の内部にある水飲み場

岩をくりぬいた水飲場

岩層でろ過されたきれいな水が、染み出すのを利用して水飲み場が造られた。
造られた当時は、実際に飲めたと思いますが、現在では飲まないようです。

無窮洞内部の教壇

岩をくり抜いて作られた教壇と壁

みごとな出来栄えです。すべて手作業で、岩を掘り、削り、仕上げたものです。
教壇も、後から設置したものではなく、堀り残して仕上げています。
ただし、教壇のの上部は、岩が荒くザラザラしているため、固い石の板をのせて造られています。
壁の穴は黒板を取り付け跡かも知れません。実際に見ると、驚きでため息が出ます。

無窮洞の教壇広報の壁面

教壇の後方の壁の下部に水がしみ出しています。
冷たくてきれいな水

こういう部分も、掘り残して仕上げられています。

無窮洞最深部のかまど

最深部にあるかまど、調理流し台
岩をくり抜いて、仕上げてここまでできるなんて信じられません。

階段から左上部の避難道に接続されています。

無窮洞の最深部にある避難道

現在は使われていない避難道

裏山と洞窟の両方から掘ってみごと開通! 開通した時、万歳や喜びの声であふれたとのこと。
そりゃそうでしょう! 工事業者ではない、子供たちで掘ったのですから。

無窮洞の最深部にある避難道、らせん状に掘られている。

らせん状に掘ってつなげました

無窮洞の避難道、裏山の出口の様子

山には出口が今もあります

現在は藪の中にあり道もなく荒れていて見学はできません

無窮洞内部の掲載写真

洞窟内部の壁に掲載されている当時の写真

無窮洞の外部

無窮洞の敢闘門(かんとうもん)、これが唯一の出入口。

出入口はここだけ 敢闘門(かんとうもん)

無窮洞の嘗胆門(しょうたんもん)

敢闘門の右側にある嘗胆門(しょうたんもん)

空気取り入れ口としても使われた

無窮洞の壁面の文字、「無窮洞」右側から読む。

無窮洞 向かって右側から読みます (窮は略字)
一度消して再度書いたとのことですが岩を削って彫るのだから簡単ではない

無窮洞の駐車場横にあるトイレ

無料駐車場の横にあるトイレと自動販売機

無窮洞の案内所詰所

無窮洞案内詰所
無窮洞顕彰保存会のボランティアの方が待機されています。
無窮洞のパンフレットがあります。

無窮洞の遠景

対岸より無窮洞遠景
観光バスの観光客が見える

無窮洞へのアクセス 問合せ先と地図

無窮洞への交通アクセスは自動車が一番便利です。公共交通機関としては、鉄道のJRハウステンボス駅か南風崎駅(はえのさき)駅です。駅からタクシーか徒歩で無窮洞へ行きます。路線バスは有りません。

自動車

一番、便利です。国道205号線の長畑町(ながはたちょう)交差点から県道に入り、押しボタン式信号を左折すると、小さな橋を通って、つきあたりが無窮洞の駐車場です。

JRハウステンボス駅からタクシー

JRハウスハウステンボス駅からタクシーで約5分です。ハウステンボス駅は普通も快速もすべて停車するので確実です。ハウステンボスの隣の駅に南風崎(はえのさき)駅という古い駅のほうが、少し無窮洞に近いですが、快速電車が停車しないのと、タクシーへの乗車が便利なハウステンボス駅の方がおすすめです。無窮洞までの時間的な差はほとんど無いはずです。

JRハウステンボス駅から徒歩

JRハウステンボスから徒歩で約30分、ウォーキングが趣味の健脚の方は大丈夫でしょう。もし普通電車で南風崎駅に降車できる方は、時間的にも早くなり、歴史が古い駅の風情も感じることができます。

路線バス

西肥(さいひ)バスの路線が廃止になり、宮(みや)支所入口というバス停も廃止されて、現在は有りません。
(2025年3月)

問合せ先

0956-59-2003 無窮洞顕彰(けんしょう)保存会

0956-59-2676 佐世保市宮コミュニティセンター(旧宮地区公民館)
        

住所 〒859-3237 長崎県佐世保市城間町3-2

受付時間 9:00~16:30

見学可能時間 9:00~17:00
休日 年末年始
駐車場 無料

無窮洞の地図

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