巨大な3本の針尾無線塔 (新西海橋より)
新西海橋から見える巨大な3本の針尾無線塔。これはいったい何でしょうか?
いつ、誰が何のためにどうやって建てたのでしょうか。どんな役割をしていたのでしょうか。そして現在の姿は?
外国人を針尾無線塔に何度も案内した経験があり、海上の船舶への無線電信(モールス通信)に17年間携わったことがある私が解説します。
2015年に台湾からの観光客を案内した時に、私が正確に伝えられなかったことを反省する意味もあります。
この記事を読めば針尾無線塔(はりおむせんとう)に関することが分かりほとんどの疑問も解決します。
いやいや、針尾無線塔について必要なことだけ分かればよいという方は、目次で興味ある見出しをクリックして読んでいただければ幸いです。
針尾無線塔は高さ約136mの鉄筋コンクリート3本
針尾無線塔(はりおむせんとう)は、高さ約136mの鉄筋コンクリートで3本で構成されており支線などは一切無く、自立しています。遠くから見ても目立つ無線塔、近くで見上げると異様に高いのが分かります。
3号塔を見上げると首が痛い
途中の開口部が塔の中間あたり
針尾無線塔は一辺300mの正三角形に配置
無線塔は正三角形に配置されていて、一辺は300m、つまり塔と塔の間隔は300mです。
地面付近の直径は約12m、周囲約38m、コンクリートの厚さは約76cmもあります。無線電信室は正三角形の中心に建設されています。
中心部から2号塔を見る
1号塔と2号塔が東西、3号塔が南となる正三角形配置
時計回りに1号塔→2号塔→3号塔 中心地に無線電信所施設
敷地内の案内板にて
針尾無線塔は旧海軍が軍事上の通信をするために建設
針尾無線塔は、大正時代に旧日本海軍が建設したものです。目的は、遠方の軍事施設や海上の艦船に軍事上の命令や連絡をするためであり、日本海軍にとって特別に重要なものでありました。
針尾無線電信所または針尾送信所を構成する塔として、1918年(大正7年)から4年の歳月をかけ1922年(大正11年)に完成したものです。総工費は、無線電信所も含めて当時155万円、現在の金額でなんと、250億円を費やしたというとんでもない金額です。
3本の無線塔は、無線電波を発射する空中線(アンテナ)をできるだけ高い位置に支えるために建設された支柱であって、塔そのものからは電波を発射しません。支柱に連結されていた相当丈夫な金属線から電波が発射された訳です。
針尾無線塔の作り方は内足場(うちあしば)と吊り足場(つりあしば)方式
アメリカのウェーバーチムニー社の特許である内足場方式という方法で建築されていて、塔の内側に足場を組み、鉄筋を上に組みながら、塔の内側と、塔の外側に円周状に縦に板を並べて木枠を作り、その枠の中にコンクリートを流し込む。
コンクリートがかたまるまで固定。外側はワイヤーと特殊な締付器具で固定する。固まったら、木枠を外し、さらに上部で同じことを繰り返すという方法です。塔の外側は、吊り足場(つりあしば)というものを上下させて作業をしたということです。
少し順序が間違っているかもしれませんが、とにかく内部が空洞の煙突状の建築物だから、内部に足場を組んで、そういう作業を正確に、確実に、少しずつ完成しながら、上へ上へと建築したということです。
木枠のために縦に使用した板の長さが約1m30cm、それが100段であり、約136mとなります。気が遠くなってしまい、なるほどなんて声も出ません。
縦に板が外周に並べて木枠とされた跡が分かります
足場の土台とされた丈夫そうな格子状の鉄が上の方まで見えます
上に資材等を運ぶために使われたウインチ
針尾無線塔の外壁のまわりにいったいどうやって足場を組んでだろうかと疑問に思っていました。塔の外側に136mまで足場が組めたのだろうかと。大型クレーンなんてあるはずもない大正時代。現代でもこの塔と同じものを建設しようとしても大変な工事になるのではないでしょうか。また気が遠くなりそうです。
※参考文献
土木学会論文 1922年(大正11年)に完成した重要文化財「針尾無線塔」の施工方法の考察 小川 健 長崎県建設技術研究センター
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jscejhsce/76/1/76_32/_pdf
針尾無線塔の針尾の由来は針尾島(はりおじま)
佐世保市針尾(はりお)中町という場所にあり、針尾という地名からきています。
実は針尾は針尾島(はりおじま)という島であって、針尾無線塔の近くの西海橋、新西海橋がかかる針尾瀬戸という海峡と、観潮橋(かんちょうばし)がかかる早岐瀬戸(はいきせと)という海峡で陸と分断されています。この塔が建設された大正時代には橋はまったくなかったわけです。
西海橋 1955年 昭和30年完成
新西海橋より望む
アンテナ線は塔に取付けられた鉄製の器具に接続
実際に稼働していた時は、塔の頂上部に、かんざしと呼ばれた、鉄製の1辺18m、重さ9トンの三角形の器具が取り付けてあり、それに空中線(アンテナ線)のワイヤーが三角に張られて、無線電信室の送信装置と接続されていたようです。
1辺18メートル、重さ9トンの鉄製の器具って、それが130メートル以上の塔の横に張り出して取付けるなんて、いったいどうやって作業したのでしょうか?
現地の説明板
かんざしと呼ばれた器具
その鉄製のかんざしは、1983年(昭和58年)撤去されたとのことですが、取付も撤去もどうやって工事や作業をしたのか想像するだけで気が遠くなるのは私だけでしょうか。
空中線の撤去は、かんざしと同時かそれ以前に撤去されたと思われますが、記録を探すことができませんでした。
建設当時の写真 大正11年
長崎県東彼杵郡針尾村所在
旧佐世保海軍通信隊送信所
無線塔の高さ 地上 四五〇尺
説明板の写真に手書きで縦に上記のように書いてあります
※ 大正11年は1922年 当時は東彼杵郡針尾村(ひがしそのぎぐんはりおむら)
※ 四五〇尺(しゃく)は約136m
無線電信室は正三角形の無線塔の中心に建設
無線塔が電波を発射する空中線を支えるものとすると、一番重要でメインの装置は無線電信室といえます。針尾無線送信所と呼ばれるのは、無線塔と空中線(アンテナ線)、無線電信室が一体的な施設だからです。一般的に針尾無線塔と呼ばれるのはあまりにも目立つからでしょうか。
無線電信室の外観
左下のトンネル状の開口部が入口
その重要な無線電信室は、正三角形に配置された無線塔の中心に建設されています。ここで長波の無線を発生させる機器や電源装置などがあり、作られた無線電波をアンテナ線に接続していました。
もちろん発生させた無線電波を断続する電鍵(でんけん)装置、暗号変換したり、モールス信号を送信できる通信士や技術者がいたと思います。ただ針尾送信所は、佐世保の中心部にあった佐世保鎮守府(ちんじゅふ)に所属し統制されていたので、そういった機能の一部あるいはかなりの部分が、鎮守府内にあった可能性も高いと思います。なぞは深まるばかりです。
電気や無線電波を室外と接続した箇所でしょうか
無線電信室は以前は閉鎖されていて外部から見るだけでしたが、現在は入室して見学できるようになっています。まだ荒けずりで廃墟感たっぷりです。
※ 2020年(令和2年)から公開
※ 佐世保中心部にあった佐世保鎮守府(させぼちんじゅふ)が針尾送信所を管理していたでしょうから、その方面に記録があるかも知れません。鎮守府というのは軍の重要な拠点で、神奈川県横須賀市、京都府舞鶴市、広島県呉市、長崎県佐世保市の4ケ所です。
佐世保鎮守府 (ウィキペディア(Wikipedia)のページ
ニイタカヤマノボレ 一二〇八の意味は開戦は12月8日と決定、予定通り攻撃せよ
「ニイタカヤマノボレ1208」は「新高山登レ一二〇八」と表記され、読み方は「ニイタカヤマノボレ ヒトフタマルハチ」です。
旧日本海軍の有名な暗号で、12月8日のハワイ真珠湾を攻撃せよという意味と思われているかも知れませんが、正確には「開戦は12月8日と決定された、予定通り攻撃を決行せよ」という意味です。昭和16年(1941年)
理由としては、12月1日の御前会議(天皇との重要会議)で開戦は決定されており、軍令部(東京の指令中枢)より12月1日に開戦の決定と決行日は後日知らせる旨の命令が出されていること。
日本海軍の大艦隊は11月下旬から秘密裏にはハワイに向かって航行中、東南アジア方面でも攻撃準備が進められていて、開戦日をいつにするかということが日本軍全部隊にとって重要だったからです。
12月2日に同様に軍令部より、開戦日時を12月8日とする旨の命令が出されたため、広島県呉市に停泊中の連合艦隊旗艦である長門(ながと)より山本五十六(やまもといそろく)連合艦隊司令長官名として、夕方に電報として発信されました。有線で発信され、呉鎮守府から有線で海軍の通信網により各方面に伝わり、各地の無線送信所から電波で発信されました。
この電報の原本の写しが、海上自衛隊佐世保資料館(セイルタワー)にありましたが、写真撮影禁止でしたので掲載できませんでした。
ちなみに、ニイタカヤマノボレ1208の電報は山本五十六連合艦隊司令長官名ですが、実際には参謀長の宇垣纒(うがきまとめ)という人が代わりに打電しています。理由は山本五十六司令長官は宮中に招かれて不在だったのです。
長官は12月1日に岩国から電車で東京に向かい、12月3日に天皇に拝謁、12月5日午前に長門に帰還しています。開戦も真珠湾攻撃も極秘だったため山本司令長官の行動も隠密でした。
太平洋戦争のこのような内容は次の書籍を参考にしました。興味ある方にはおすすめします。
内容は戦後にあらゆる調査と聞き取りから成り立ち、かなり詳細な情報や実際のモノクロ写真が使用されていて、当時の臨場感も伝わってきます。また日本海軍の当事者の気持ちや裏話もあり読むたびにタイムスリップできます。秘蔵の書籍となることでしょう。在庫が少ないかも知れません。
※トラトラトラ 太平洋戦争はこうして始まった ゴードン・W・ブランゲ 著 千早正隆訳
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針尾無線塔からニイタカヤマノボレは送信されたはず
針尾無線塔からも中継送信したと伝えられていますが、不思議なことに記録や証拠が無いのです。
千葉県の船橋送信所と愛知県の依佐美(よさみ)送信所から送信されたことは記録にあるようです。
船橋は東方海上艦船向けに短波と中波で、依佐美は潜水艦向けに超長波で送信されました。
針尾送信所は長波で、満州、中国方面・東南アジアや南太平洋方面に送信した可能性が限りなく高いといえます。
証拠が無いのは謎ですが終戦から米軍が管理する前に処分された可能性が高いと想像されます。もしかしたらどこかに隠されているかもしれませんが謎です。
これだけの総工費、設備、無線塔の高さや位置関係、中国大陸方面、東南アジア方面、南太平洋方面に軍事上の連絡をするために建築されたこと。
また秘密裏に奇襲攻撃で開戦をした歴史を考えれば、開戦の重要な命令を間違いなく全軍に伝えるために送信したことが事実と考えるのが自然だと思います。
今後、記録や証拠が出現して事実と確定されるはずです。
暗号「トラトラトラ」の意味は「奇襲攻撃成功!」針尾無線塔と関係なし
ちなみに「ニイタカヤマノボレ一二〇八」に対して「トラトラトラ」という暗号も有名です。
「トラトラトラ」は、「奇襲攻撃成功」(ハワイオアフ島の真珠湾を)という意味です。
日本海軍の連合艦隊がハワイのオアフ島にある真珠湾攻撃を決行した際には、空母から発進した戦闘機の大編隊が空から奇襲攻撃をしたのはあまりにも有名な歴史上の事実です。
12月8日の早朝から日本の空母から飛び立って米軍に見つからず真珠湾に到達した零式艦上戦闘機(ゼロセン)の淵田攻撃隊長機から発信されたものです。
午前7時45分頃、淵田隊長攻撃開始の合図がされ数分後のことです。米軍が戦闘配置についてない状態で攻撃を開始できたことを日本の艦隊に知らせたものです。
もちろん、この報は瀬戸内海の呉に停泊中の戦艦長門(ナガト)の山本 五十六(ヤマモト イソロク)連合艦隊司令長官はもとより、日本軍司令部中枢までまたたく間に伝わりました。
以上のことから「トラトラトラ」の暗号と、送信所である針尾送信所、針尾無線塔とは直接関係はないです。
ニイタカヤマは新高山、台湾最高峰の玉山(ぎょくさん) 3952m
ニイタカヤマノボレのニイタカはどこの山でしょうか。2015年11月にゲストを針尾無線塔に案内した時、私はまったく知りませんでした。私は中国語ができないので、へたな英語と日本語とを交えて太平洋戦争時の攻撃の暗号を送信したかもしれない無線塔だということを必死で説明したことを思い出します。
私は、山の名前は、新鷹山とでも書いて富士山の付近にあるありがたい山の名前なのかぐらいに思っていましたが、無線塔のボランティアの方が台湾の高雄(たかお)の近くにある山だというような説明をされていたことを思い出し、別れ際に台湾にそういう名前の山は無いか尋ねたりしたのですが通じませんでした。
まったく通じないのも変だなと思い、そのゲストを見送り別れた後にいろいろ調べてみたら驚きの事実を知り、自分の無知と恥ずかしさを感じたことを今でも忘れません。
なんと、ニイタカヤマは新高山と書き、台湾最高峰の山、玉山(ぎょくさん)のことで中国語で(ユイシャン)、標高3952m、日本の富士山3776mより高い山のことでした。台湾は日本統治されていたため当時は日本最高峰となり、新しい高い山ということで新高山(ニイタカヤマ)と名付けらていたのでした。
何でも明治天皇が命名し、戦後に元の名前、玉山に戻ったとのこと。
つまりニイタカヤマは新高山と書き、台湾最高峰の玉山、ひいては当時日本一高い山のことだったことが分かりました。
台湾(たいわん)は、日清戦争後の1895年(明治28年)から、太平洋戦争後の1945年(昭和20年)までの約50年間、日本が統治していました。
えっ、台湾で一番高くて富士山より高い。当時日本で一番高い山?
私が一生懸命、Mt, Niitaka(マウント ニイタカ)や、
Niitaka mountain(ニイタカ マウンテン)、
There is near Kaohsiung(ニアー カオシュン)、高雄市(たかおし)は英語でKosiung 、身振り手振りで説明したのです。
山名が違っていても、台湾で一番高い山と言えば通じるのに。私が必死で説明したことは、ちょうど日本人に富士山のことを静岡市の近くにある〇〇山と言っていることと同じ、聞かれた人はどの山のことかなー?となります。
おまけに、そのゲストは台湾の男性だったのです。ああ無知とはこのことだ、もし知っていたなら、、。そんなこともあり針尾無線塔のことをもっと知っておかなければいけないと思った次第です。
- ニイタカヤマは新高山と書き、台湾の最高峰の玉山(ぎょくざん)のことで、当時は台湾は日本が統治していたので、日本一の高さの山であった。
- 日本が山の名前を玉山から新高山に変更していたので、台湾の人に新高山といっても分からない。
これを読まれた方は、私のような失敗もなく堂々と説明してあげてください。
自立式鉄筋コンクリート無線塔としては日本一
第二次世界大戦以前から建つ現存する塔で、自立式の鉄筋コンクリートで現存している無線塔としては日本一の古さと高さを誇っています。いやもしかしたら世界一かも知れません。
黄砂でかすむ春の針尾無線塔
新西海橋遊歩道より
2023年は針尾無線塔建設 101年経過 びくともせず 無料見学可能 整備は前進中
「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」の名称で、2013年(平成25年)3月に国の重要文化財にも指定されました。
1922年(大正11年)建設ですから、2022年(令和4年)は100周年記念!
2023年は101年経過、101年たってもびくともしない針尾無線塔すごすぎませんか。
整備は前進中
駐車場、説明パネルの設置、無線電信室の公開、遊歩道、整備が少しずつ進められています。
保存会ボランティアの方が常駐の事務所
左の開口部が無線電信室の入口
無線電信室も見学可能
入ったすぐの所にヘルメットがかけてあり、それを着用して内部を見学できるようになっていますが、まだ整備途中なので廃墟感を味わうことができます。
時代を感じる通路
重要な装置等があった部屋
当時最新で極秘の無線電信施設内部をあれこれ想像しながら見学してみてください。
何か見てはいけないものを見るような、タイムマシーンで過去にタイムスリップしたような気分になるはずです。
(あくまで個人の感想です、保証はありません。)
針尾送信所の電波の周波数は長波 30Khz(キロヘルツ) 東芝が開発し現存する
1920年の大正時代には電波を大電力で電気的に発生させる技術は確立してないために、機械的に発生させました。
現在のように電子的に電波を発生させるなんてありませんでした。
具体的には大型の発電機を高速に回転させて電波を発生させました。
大型発電機を安定的に回転させるのは難しいため、広い設置場所やおおがかりな装置が必要になります。稼働中は相当な騒音だったことでしょう。
1920年に芝浦製作所(しばうらせいさくしょ)、現 株式会社 東芝が、125kVA(出力100ワット)の開発に成功し、旧日本海軍の発注で、1922年(大正11年)より、針尾無線送信所で使用された。
元になったのはアメリカのG.E.社のアレキサンダーソン型高周波発電機であり、それを独自技術で同型機を開発したとのこと。
回転数は1分間に3000回転、送信した周波数は、30Khz(キロヘルツ)、長波の周波数帯は、30Khz~300Khzなので長波帯でも低い周波数です。
同型機が東芝エネルギーシステムズ株式会社の京浜事業所にあります。残念ですが針尾送信所には現存していません。
参照 東芝エネルギーシステムズ株式会社 送信用アレキサンダーソン型高周波発電機
日本初の送信用アレキサンダーソン型高周波発電機
長距離無線通信を国産技術で実現。
黎明期の国際無線通信を支えた、通信用高周波発電機。
以下のような記述があり大変貴重なものです。
世界的に見ても保存が確認されている大出力のアレキサンダーソン型高周波発電機は本125kVA機(東芝エネルギーシステムズ株式会社京浜事業所所蔵)と海外にあるGE社製200kW機2台のみであり、
針尾無線塔まとめ あなたも針尾無線塔を自信をもって案内できます
針尾無線塔についてまとめます。
- 旧日本の海軍が無線通信のために建設
- 4年の歳月をかけて1922年(大正11年)完成
- 建設費は送信所全体で当時155万円で現在の250億円
- 自立式鉄筋コンクリート製で煙突のように空洞
- 高さは3本とも地上高136メートル
- 一辺300メーターの正三角形に建つ
- 空中線(アンテナ)を張るための支柱の役割
- 長波30Khzの電波を発射
- 「ニイタカヤマノボレ」の暗号を中継送信したと推測
- 「トラトラトラ」の暗号は関係なし
- 現在は日本遺産で無料見学が可能
- 現在は頂上に登ることはできない
まだまだ謎の多い針尾無線塔、これからも新しい事実が発見されることでしょう。
針尾無線塔についてかなり詳しくなったあなたは友人知人や観光客を案内できるようになりました。
長い記事をここまで読んでいただきありがとうございました。敬意を表します。
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